スマート駄目リーマンの忘備録

旅行記、キャリア論、世相分析など思ったことを書き連ねます

WAIS-III 知能検査結果(エリートが生まれにくい閉塞した日本)

私は幼いころから、集団になじめず孤独を好んでいた。親からはもっと友達と仲良く遊びなさいと言われ、子供たちが遊んでいる集団に放り込まれてもいつの間にか弾き出され、結果的に孤独になる。学生時代は勉強がそこそこ出来たので、多少集団になじめなくても、学業成績の良さで下駄を履くことが出来た。よって先生や周囲の仲間からも多めに見てもらえたため、特にそれが問題になることも無かった。私がそうした精神的特異性で行き詰まり始めたのはおそらく高校時代からだと感じている。私が通っていた高校は県のトップ校で、皆それなりに勉強が出来た。中学までは優等生であった私もその高校では平凡な一般人。空気を読まない発言、緩慢な動作などを部活の友達からいじられるようになった。大学時代は高校の部活よりも人間関係が薄くなるので、そこまでいじられることは無かった。本当の悲劇は新卒で入社した会社から始まった。会社はどんなに大手であっても、役に立たない、慣例に基づいたくそつまらなくて、効率の悪い作業が存在する。私は好き嫌いがはっきりしており、そうした業務に全く興味が持てず、ミスを連発した。真面目にやれ。仕事をなめてんのかと言われたが、論理性に照らし、無駄だと思う仕事には全くモチベーションが上がらない。結局同じミスをやらかす始末。ただ、無駄な仕事でも会社にとっては必要な仕事だから真面目にやらなければならないと頭では理解し、仕事は真面目に取り組んだつもりである。しかし、うまく出来ない。時として自分を責めたりもした。同期の中で当初は先頭集団に位置していたが次第に窓際的にポジションに追い込まれることになった。

悩みに悩んだ末、サイトで大人の発達障害という記事に出くわした。同じような悩みを抱えている大人が精神科を受診し、自身の適性を客観的に把握し適職についている成功例が紹介されていた。これだ、私も精神科の受信を思い立ち、実際に検査を受けた。(WAIS-III検査) 

 

WAIS-III検査結果 

・言語性IQ 135

・動作性IQ112 

・全検査IQ127

基準については各論あるが、動作性IQと言語性IQの差が20以上開いているのは発達障害を疑われるらしい。(会社生活がうまく行かないのもおそらくこのせいだろう。興味のある対象には過集中を発揮する一方で、興味の無いものには全く集中できない。)

私はこの検査結果について特にショックは受けなかった。むしろ、何故自分は集団の中で孤立しがちになるのか自分自身に対して非常に合点がいったのだ。

IQの平均が凡そ100前後であり、IQが70~80は普通学校の特別支援学級に70以下は特別支援学校に通うことになるとのことだ。

私は普通学級だが、平均値からの距離は27(127-100)で、IQ70~80の特別支援学級の子供たちとレア度でいえば同じゾーンにいたわけだ。(学業などとの相関が大きい言語性IQに至ってはIQ70以下の特別支援学校の児童と同じゾーン。)そりゃ普通の周りの友達と上手くいくわけない。幼いころからの言い知れない違和感が氷解した瞬間だった。動作性IQと言語性IQが同じくらいであれば、もう少しバランスの良い社会生活を送れたのかもしれない。中学時代は周囲の友達が熱中していた歌謡曲やお笑い、エアマックスなどのファッションに全く興味を持てなかった。

 そして何故、日本からずば抜けた天才が輩出されないか、その理由が分かった気がした。それは高IQ児童に対する公的なフォローが全く無いからだ。一般の人からすると大は小を兼ねるで、高い人が低い人に合わせるのは簡単だろうと思えるかもしれない。それは大きな間違いである。水泳や陸上をやっていた人たちはよく理解できるかもしれないが、ペースの早い人が遅い人に合わせると逆に疲れるのである。速い人はそのまま速いペースで走らせるのが良いのだ。

 高IQに生まれ、運よく経済力のある家庭で生まれた児童は塾に通わせられて私立や国立の中学校などに進学し、同じような知的水準の環境で過ごすことが出来る。周囲とのギャップの苦痛を感じずに伸び伸び成長出来るだろう。

しかし、高いIQだが経済環境や親の理解に恵まれず、通常の公立中に進学すると場合によっては周囲との軋轢から不登校になる児童もいるだろう。最近になって公立中学校でも能力別クラスが編成される地域も出てきたが、私が公教育を受けた20~30年前は能力のばらつきのある生徒が同じクラスに玉石混交していた。公立中になじめずに、勉強までも嫌いになりドロップアウトした高IQの生徒は闇の中に多く埋もれているのではないだろうか?そうした生徒が不憫でならない。

高IQの生徒に対する公的な支援は技術立国日本では急務である。