スマート駄目リーマンの忘備録

旅行記、キャリア論、世相分析など思ったことを書き連ねます

真昼鈍行(熱風ベトナム編 2009) 最終章

真昼鈍行とは外回りの営業に疲れたサラリーマンが帰社するまでの時間稼ぎをするためにわざと鈍行に乗る行為である。
そのようなサラリーマンは日本の競争社会と雇用環境の理不尽さにほとほと疲れ果てている。そうして、やがて長期の旅に出る。その中の三分の一は社会復帰できず。旅先で沈没する。

真っ暗闇の中、双発型の飛行機は北東へ進路を取り日本へと向かう。

天気が荒れているのか、機体は上下に大分揺れた。

俺は小さな座席のライトで本を読む気にもなれず。かと言って、眠る気にもなれず。

真っ暗なキャビンをどことなく眺め、そして今回の旅の記憶に思いを馳せる。

とても刺激的な旅だった。真夏の東南アジアの暑さは確かに堪えたが、なんとかならないものでもなかった。

そしてハノイ旧市街の雑踏の一角で、20人ほど子供達が黒板の文章を音読する甲高い声が、頭の中でこだました。

学ぶ環境としては決して恵まれている訳ではない。でもその中で、前向きに突き進んで行こうとする姿勢に凄いエネルギーを感じた。
まぁ恵まれている、恵まれていないなんて所詮相対的なものでしかない。
あくまで俺の感覚が指標となっているだけで彼等はきっとそうは感じてないだろう。
毎日学校に行き、友達と遊べることが至福の喜びで、校舎が汚いとかはそれほど重要な問題ではないかもしれない。

最近日本という国が本当に豊かであるのか疑問を感じる時がある。物質的、金銭的に豊かであるかもしれないが、それを維持するために大きな犠牲を払っているというか。

もっと豊かで快適な暮らしがしたいという前向きさにつき動かされているというより、貧しさに対する恐怖心に駆り立てられて、本当は頑張りたくないのにいやいや頑張っているというか。

俺はいい加減、そういう頑張り方は止めたほうが良いと思うんだ。
何かを維持できなくなる。何かを失う。そういう事は実はそんなに怖い事じゃない。人間は凄いもので、何かを失っても、その状態に意外と直ぐに適応してしまうものなのだ。

本当はそういう事を勝手に恐怖として仮想してしまうことの方が恐ろしい。

俺が今住んでいる所はそこそこ田舎で、電車は一時間に一本で、おまけに最近まで寮の八畳の部屋に同期と二人で住んでいた。

当初は有り得ないと思っていた。しかし、いつの間にかそれに適応している自分がいた。確かに好きな時間に好きな事をするには制約があった。
でも仕事がしんどいときに相方に愚痴をこぼせて救われた自分がいた。
ウィニングイレブンを覚えられたのも相方がそれで遊んでいたからだ。
そう考えるとプラスの面もあった。
それを聞いた人らの中には勝手に同情してくる人もいた。
でも別にそういう境遇をとりわけきついとも感じなかった。
与えられた環境を受け入れてそれをプラスに考える姿勢は大事だ。

おそらく日本の経済は現状維持が精一杯だろう。若年人口比率が低く、高齢者の比率が圧倒的に高いんだ。高齢者を支えるのに手一杯で経済発展に手を回せる余裕などなくなるだろう。
どんなに政策をいじくったってたかがしれている。そもそも環境資源に恵まれず、知的集約型の加工貿易で成り上がった国なんだ。そして生命線である知やそれを支える人材が枯渇し始めている。徐々にであるが、周辺のアジア諸国にそれらで負け始めている。その現状を鑑みれば日本の次のシナリオを想起するのはそんなに難しく無い筈だ。
嵐の中にいる船ではどんな有能な船長でもやはり駄目なわけで。
皆、いい加減そのことに気がつくべきなんじゃないか?いや薄々気がついているのだが、90年代初頭までのまばゆいほどの幻影を捨てきれずにいるのかもしれない。
頑張って堪えていればまたバブルがやってくるかもしれないと。

これから高齢者の仲間入りをする団塊の世代の頑張りで日本はここまで成長出来た。しかし、もしかしたらその成長は性急だったのかもしれない。変化というのは早過ぎると、どこかで必ず歪みが生じる。今の日本はその歪みに向き合うステージに来たんじゃないか?

一度、経済発展や成長を夢想し、無理にあがくのを止めてみてはどうだろう?今を素直に受け入れてみたらどうだろう?
自分達に与えられた環境の中で、どうしたらもっと面白く出来るだろうって発想を切り替えたらどうだろう?
景気が良くなったら良くなったで、それはその時に考えればいいんだ。

そして東京にしがみつくのはもう止めてもいいかもしれない。

やはり自分の目で実際に見たり、文献を調べたり、そして海外のお客様と仕事をする中で、アジアに於ける東京のプレゼンスは確実に落ち始めている。
空港一つとっても、日本が滑走路拡張問題で揉めている間に仁川、上海、チャンギバンコクなどが国をあげての空港インフラ整備に乗り出し、成田とは比較にならない程の充実した設備、発着枠を配備するようになった。

そして残念ながら上記の空港がアジアのハブ空港としての地位を確立している。
勿論地理的な要因でバンコク、クアラルンプール、上海などに利があるにしても、東京だってもう少し上手く立ち回れてもいい筈だった。

また、金融でも東京の影響力は落ちている。
前日にNYが急落しても上海が上がると東京が戻ったり、前場に上げていても上海が下げると日経の先物が売られて、日経平均がズルズル下げる。
負けまいと踏ん張るのは大事だけど、今まで相当頑張ってきたんだし、いい加減負けましたーって手を上げても良い気がするよ。
そうすることで見えてくる物があるんじゃないか?

今の日本社会は勝ち組と負け組の二極化が進んでいると言われるが、そうではなく中途半端に中間層に留まっているのが一番しんどくて、
必然的にどっちかに行きざるを得ないんじゃないかな?

具体的には年収600万から1000万位。そこそこ年収はあるが、それに付随して仕事はしんどい。
かと言って、それくらいの年収じゃ都内の一等地には住めない。
都心から40分から60分位のの郊外に家を建てるのが精一杯。そして毎朝通勤ラッシュの嵐。

かといって生活水準を下げるには躊躇してしまう。
田舎にはとてもじゃけいど住めないよ。一流企業を辞めたら、自分はどうやってプライドを維持したらいいんだ。
今より年収が200万減ったら、絶対やってけないよ。
そいういった見えない恐怖やプライドに縛られて、結局そこにいるしかない。


企業はそうした勤労者の自己矛盾を巧みについて、勤労者を搾取する。
大学時代、東急東横線で中目黒から日吉に向かう電車から、反対方面の渋谷行きの満員電車を見ていつもこう思ったものだ。
何故あなたたちはそんなにも頑張るのですか?
そこまで頑張ればフェラーリを乗り回したり、ドバイに別荘が買えたりするんですか?

そして日本も経済大国のプライドを捨てきれず、ついつい無理な経済援助をしてしまう。
多分世界は90年代初頭のような日本ではないことをとっくに見透かしている。
でも素直に負けましたって言えない日本の自己矛盾を巧みにつき、うまく日本を持ち上げて金を搾り取る。
そしてせっかく援助をしてもその恩恵を主に受けるのは貧しい民衆ではなくて、富裕層。

本当はそんなことをするような余裕はないんだ。年間自殺者3万人は先進国では明らかに異常だ。
海外への援助も大事だけど、精神的に疲弊している人への心のケアにも少しお金を投入してよいのではないでしょうか?
国債や、年金システムの健全な維持にお金をもう少し投入出来ないのでしょうか?

俺はアジアを旅して現地の人と話をする際に必ずそれを話題にする。日本はあなた達が思うほど豊かな国では無いのですよ。
物質的な豊かさに惑わされてはなりませんよ。それを維持するために多大な精神的、肉体的な犠牲を払っているのです。
通勤ラッシュの嵐を抜けて朝から晩までまともな休暇もなく働いても多くの人は家を一軒買って、子供を大学に行かすのが精一杯なのですよ。

それを聞いた皆は一様に驚きを隠せない。
フィンランド人もたまげた。ベトナム人もたまげた。ドイツ人もたまげた。


そいういえば、春先に高校の同窓会に出席した時のことだ。高校時代のの成績上位者で東京大学東京工業大学京都大学を卒業した俊才は綺麗に二極分化していたな。

外資投資銀行に六年勤続し、会社の同僚と新たに会社を興す奴。Singaporeにある村上Fundの残党が設立した会社に行った奴。官僚や検察官になった奴。
その一方で、そういった競争社会から完全に身を引き、地元の部品メーカーや業界五番手位の会社や県庁に行き、年収は少し低いが、
週末は友人達とマッタリとフットサルなどの趣味やを楽しんでいる奴。
多分彼等は頭が良いので、六、七年前の段階で俺が今気がついた事には気がついていたんだろう。
今の日本で楽しく人生を送るには、競争に勝ち抜き続け、搾取する側に回ってしまうか、多少生活水準は落ちても競争から降りるかの二者択一しかないことを。

10年前のまだ高校卒業したての19歳の段階でアメリカ主導の資本主義が自己矛盾をきたし凋落に向かって行くことを予見した奴もその中にいた。
そして今、実際にそうなった。そして日本はそれにあっさり嵌められてしまった。
正直、当時彼が言っている事を当時の俺は理解出来なかった。
アメリカのやっている事は一見正しく見えているが、後で振り返ったときにとんでもない方向に向かっていた事に気がつくかもしれないと。


そんな複雑な事に思考を巡らせていると細い一筋の閃光がCabinの右側の窓から差し込んで来た。
そして時間を追うごとに一筋だった光が二つ、三つと増えていく。ついには一つ一つ独立していた光の筋が結集し、大きな束になって差し込んで来た。
夜明だ!!!!。
お主、そんなに悲観するものではないぞ、日本もまだ捨てた物じゃないぞ。
そうやって誰かに語りかけられたような気がした。

モニターをONすると飛行機は日本の領空内だ。そのことに軽い安堵を感じた。そしてやはり自分は日本人なんだと感じた。

その時だった。旅の初日に何故自分は旅に出るのか?その答の一つが見つかった気がした。
自分が日本人であることを確認するために旅に出るのかも知れない
旅に出て日本の事を問われ、そして日本を外から見なければ、先ほどの思考が果たして出来ただろうか?
日本の現実に悲観してまうのも、それは自分が日本人であるからに他ならない。
そして、日本の領空に飛行機が入って心の奥底で安堵を感じるのも。


機内で出された朝食を食べながら、また複雑なことに思考をめぐらせようとする。
そんな折、

coffee? Grenn tea?

coffee? Grenn tea?


というキャビンアテンダントの声で現実に引き戻される。

Green tea please.





そんな折も飛行機は順調に降下を続ける。
そして、飛行機は無事に成田国際空港に着陸した。

日本はさぞかし涼しいだろう、そういう淡い期待は期待は飛行機からターミナルへ向かう通路であっさり裏切られた。
ターミナルへと歩を進める通路で、じっとりとした空気が首や背中にまとわり付く。



俺はターミナルと飛行機をつなぐ通路が好きだ。

そこを通過しただけで、飛行機の出発地とは一味違う空気、気候を肌で感じることが出来る。
空調が整っている飛行機と空調が整っているターミナルの間のエアポケットのような空間。
そこだけは空調が整っていなく、外界の気候の影響ををもろに受ける。

本当はパスポートコントロールの通過が正式な入国となるのだが、
それは人間が近代になって制定した決まりごとでしかない。

それよりも皮膚に触れる空気という、かなり感覚的、根源的な物で遠い場所にやってきたことを実感する。
それは原始時代の人がタイムマシンで現代に来て飛行機に乗ったとしても、同じく得る感覚であろう。

その空気は冷たくても、暑くても、じっとりとしても、カラカラしていても自分にとっては非常に心地よいものだ。

それはその土地が俺に対して嘘、偽り無く語りかけてくれる挨拶だからだ。

その空気が俺にまず先に語りかける。ようこそ、おいでなさいましたと。
こちらの気候は如何様ですか?



そして、日本に着いた今、俺は答える。

なんだ日本も暑いじゃんかよー。

でも不快な気分にはならなかった。 


終わり

P.S

あれから12年後の2021年。今これを読み返すと、自分の見立てはあながち間違いではなく、むしろそれより悪くなっていさえ思えますね。