スマート駄目リーマンの忘備録

旅行記、キャリア論、世相分析など思ったことを書き連ねます

真の安定とは何か?

 世間、親、教師が言う所謂、安定。その安定とは一体何なのだろうか?公務員になる事、潰れないと言われるインフラ会社に勤める事。これらは安定と言っても静的な安定だろう。分かりやすく言うと、沈まない大型客船の切符を手に入れる事だ。沈まない、放り出されない限りに安定だ。しかし、その大型客船が氷山や暗礁に向けて一直線の場合はどうだろうか? 

自分が危ないと声を発して船長が舵を切ってくれれば良いだろうが、一乗組員の声は通常、船長には届かない。

私は三十代以下の人が静的安定を志向するのは、今の時代では逆に不安定になると考える。

今の時代に必要とされる安定は同じ安定でも動的安定である。

つまり、自分が乗っている船の危険を機敏に察知し、緊急時には海に飛び込んで自力で泳ぎ、乗せて貰える船を探す。または自分でイカダを作る能力だ。

社会人を例に出すと、会社が潰れても、直ぐに同程度の待遇の会社が直ぐに見つかるスキルを持っている事だ。例え年収300万円でも、日本を仮に脱出し、海外に行っても同程度の待遇を得られれば立派な安定だ。

逆に一流企業に勤務していても、管理業務などの潰しの効かない仕事をしてきて、スキルじゃ無くて勤続年数で給料を上げてきた人は、転職時に同程度の待遇を得るのは厳しい。一般的に世間は一流企業に勤務している表面的事実だけで、安定であると言うが、それは静的な安定であり、動的安定では無い。今の時代では、逆に不安定である。

 


若い人は表層的事象や見栄に惑わされず、動的安定の獲得に精進して欲しい。

八方塞がりの一億総活躍

 一億総活躍

 政府が一億総活躍をブチ上げて、定年雇用の延長、定年後の嘱託雇用の努力目標を掲げているのは、周知の通りだ。

しかし、私はこの施策は上手くいかないだろう。上手く行かないどころか、寧ろ経済の停滞化に拍車を掛けるだろうと、予測している。 

 

多分無理

 今、60歳、65歳に差し掛かる男性サラリーマンは年功序列で、曲がりなりにも課長なり、課長になれなくてもお情けで主任という役職を貰えた人が大半だろう。当然部下を持ち、管理職としての自尊心を皆、多かれ少なかれ有している。

そんな人達が、純真な気持ちで、嘱託雇用契約の下、下働きが出来るだろうか?私はそうした人達を幾人か見て来たが、正直厳しいのが本音だ。 

一度でも人の上に立ち、人を動かす美酒を味わうとそれは麻薬となる。 

年下の正社員からお願い事を頼まれても、自分流に固執する。斬新な意見を頭ごなしに否定する。職務分掌に固執し、イレギュラーな仕事に柔軟に対応出来ない。正直職場にとってマイナスが大きいことがほとんどである。

昔は55歳が定年だったが、そもそも柔軟に仕事へ対応出来るには、その辺が限界だろう。昔の人達は感覚的にそれを理解していたのだと思う。

よって、まだ正社員であっても55歳を過ぎて管理職をやってるのも正直きつい。多かれ少なかれ上記の老害の悪い兆候が出始める。 

本当は高齢の彼ら自身も柔軟に変化に対応したいと思っているかもしれない。しかしながら、対応出来ない現実に直面すると、そうした自分に向き合う事が苦しい。そうなると後はそれが出来る若い人を叩く事でしか心のバランスを維持出来ない。  

 

国の本音

 皆さん薄々周知の通り、高齢者の面倒を国が見れないから、定年延長、総活躍の掛け声で、企業に高齢者の面倒を見させる安直な考えがこうした事象の背景にある。しかし、そうする事で企業体力が落ちると結果的に国家の税収が落ちて、国と企業の共倒れになるんだろうという暗いシナリオしか思い浮かばない。

それじゃ、移民を入れる話もあるが、日本に富をもたらす優秀な移民は高齢者がのさばる閉塞的な事業環境を嫌い、日本には定着しないだろう。優秀な人は成果に対して、オンタイムでそれに見合う報酬や地位を求める。そうした事が日本企業に出来るだろうか?

百歩譲り、そうした人材が日本に定着したとしよう。しかし。多文化主義のバックグラウンドを有さない日本人だ。仮にインド人のITエンジニアが革新的なアプリを構築し、会社に多大な収益をもたらし、明日からこの人が日本人社員の部長になりますということを抵抗感無く受け入れるだろうか?

私自身インド人の優秀なITエンジニアを採用しようとしたら、高齢男性社員の横槍が入り、頓挫してしまった。彼は盛んに、そのインド人が無能だと社長に吹聴した。彼女はかなり入社に乗り気だった。非常に無念である。

 

正に八方塞がりだ。

投げ技の為の体幹トレーニング

柔道の一本背負い合気道の腰投げなど日本の武道には投げ技が多数ある。投げ技の練習で打ち込みが有効だが、腰を痛めることも少なくない。打ち込みの前に体幹を強化しておくことをお勧めする。そこで体幹の強化としてお薦めなのが、ケトルベルを使用したスイングトレーニングだ。重量は男性で体力に応じて10kgから20kgで、チョイス。当初は10回くらいこなすので、精一杯だろう。慣れてくると30回、40回出来るようになる。下記のサイトに詳しいフォームの解説があるので、参考にしてほしい。

ケトルベルを使った全身のトレーニング8種目【4分間】 - YouTube

youtu.be

 私は腰投げの打ち込みで、背負う相手が重い場合、当初は腰に載せた時に自分がつぶれそうになってしまった。だが、ケトルベルで体幹を強化すると楽々背負って、投げることが出来るようになった。もちろん、相手を背負うポジション、タイミングの修練もあるが、体幹の強化(背筋、大臀筋、胸筋)に依るところが大きい。

 このようにケトルベルでは背中、肩、胸、太もも、臀部を一度に満遍なく鍛えられるので、非常にお勧めしたい。このトレーニングを行っておくことで、受け身も楽にこなせるようになるだろう。ダンベルを用いた筋トレでは動きが直線的で、特定に部位に集中的に効くが、ケトルベルは柄の下に重りが付いているので、動作が不安定になりやすい。それを支えるために様々な方向へ筋肉に刺激を与えることが出来る。

 武道のみでなく、サッカー、ラグビー、バスケなどの対人接触プレーを伴うスポーツにも有効だ。相手に押されてもバランスを崩しにくくなるだろう。また、トレーニングでは息が適度に上がるので、心肺機能の強化にも有効だ。体幹レーニングで行き詰っている人に是非お勧めしたい。

 

 

高学歴or高知能 and コミュ障 and 働きたくない君へ 電気編

大学の電気工学科に進学

前回はソフト編を紹介したが、今回は電気編を紹介しようと思う。電気といっても弱電(PC、スマホ、電子家電系)、強電(100V単位以上の高電圧を扱う)、電子情報通信(無線、ネットワーク系)などあるが、今回は強電について紹介する。

 もし強電に進む意思が固まっているならば、大学は何処でもよいので現役時にサクッと合格できる電気工学科に入学しよう。

第二種電気工事士

大学の初学年で交流理論の基礎を完璧にアスターする。(交流ベクトル図、電気数学)。

出来れば大学二年で第二種電気工事士の資格を取得してしまおう。第二種電気工事士の資格は工業高校の電気科で取得する資格だが、この資格を取得すると夏の冷房設置のアルバイトで月100万円を稼ぐことも可能になる。そこまで頑張らなくても、オフィスビルの管理のバイトとかに潜りこめれば、時給も良く、スキルも身につく。

同じアルバイトでも資格による参入障壁があると比較的高時給になるので、なるべく早く資格を取得してしまおう。危険物乙四を取得して、春休み、夏休みにガソリンスタンドの常駐夜勤をするのも良い。飲食店やコンビニでダラダラ時間を切り売りするのはもったいない。電気、設備系は資格が多いので、簡単な資格で良いのでなるべくその資格を生かしたバイトをしよう。

第三種電気主任技術者

 大学初年度で交流理論の基礎を習得し、第二種電気工事士の資格を取得した後は第三種電気主任技術者の勉強を開始しよう。大学二年の秋から大学三年と四年で真剣に勉強すれば四年時には合格できるはずだ。もし第三種電気主任技術者試験に在学中に合格出来れば、就職時にも絶好のアピールとなる。科目は理論、電力、機械、法規があり、三年以内の科目合格制度となっている。大学三年時で少なくとも理論は一発合格できるはずだ。それと並行して英語の勉強もして、少なくても英検二級は取得しておこう。(巷ではTOEIC推しが多いが、日常の読解とヒアリングに偏った試験なので、私はお勧めしない。英検準一級を取得した後はIELTSの7.0を目標にすることをお勧めする。)電気主任技術者という資格は強力な資格で、事業用電気工作物では電気主任技術者を必ず一人選任しなくてはならなないと電気事業法で決められている。第三種のもう1ランク上の第二種電気主任技術者の試験に合格出来れば、どんな学歴だろうと食いっぱぐれは無いだろう。

 

電気主任技術者は貴重な存在

 特に再生可能エネルギーがもてはやされるようになり、小規模太陽光発電風力発電電気主任技術者が圧倒的にこれから不足する。

2030年、電気主任技術者が2000人不足する深刻度 | 日経クロステック(xTECH) (nikkei.com) このような社会的要請が強く、不足している人材になることがサラリーマン脱出の近道である。

 

進路

 大学四年時では、旧帝国大学同等以上の学歴ならば大学院進学を検討しても良いだろう。特に電動モーター、発電機の専門性を深めるならば進むべきだ。電機の勉強をして、そこまで学究心が駆り立てられなければ、就職してしまって良い。(旧帝以上だと周囲の友人は大学院に進学するかもしないが、お構いなし。下記のコースで就職しよう。大学院を卒業しても基本は同じ。大学院在学中に第二種電気主任技術者の資格を取得)

 宮帝未満であれば、設備管理の仕事が出来る職場に的を絞って就活しよう。食品会社、ビル管理会社(大手電鉄系、不動産系)、大規模生産設備を有するメーカー、素材メーカー、製薬会社などの設備管理職を目指そう。

 

資格を確実にGETし、貯金と投資を!!

  無事に就職出来たら、第三種電気主任技術者の資格を25歳までには取得しよう。(可能であれば30歳までに第二種電気主任技術者の資格取得してしまおう。)とりあえず、入社後の三年は必死に仕事を習得しよう。そして、毎年100万円貯金して、30万円の少額で株式投資の勉強をしよう。(投資関連については前回のソフト編を参照してね。)

 

転職サイトに登録し、緩い職場を探す

 ここまでストレートにくれば社会人デビュー三年後でも、まだ25歳か26歳そこらだ。その時に試しに転職サイトに登録してみよう。一カ月もすれば驚くほど沢山のオファーがあることにきっとびっくりする筈だ。そう、君は転職市場の中で希少性の高い人材になれたのだよ。そうした求人の中で、太陽光発電の巡回型の設備管理員や拘束が緩そうなオフィスビル、公共設備の管理員の面接を受けてみよう。病院や商業施設の管理は忙しいので避けよう。緩さで言えば70歳以上のシニアが、週に三回くらいで仕事しているような職場がお勧め。君も我儘を言って、週休三日、四日を目指そう。

面接で気に入ったところが見つかれば、転職してしまっても良いだろうし、今の会社の拘束が緩くて居心地が良ければそのまま残るのもアリだ。

仕事は手っ取り早く片付けて株式市場の研究をしよう。とにかく会社の格や世間体にとらわれず、拘束が緩く、仕事さえしてれば何も言われない職場を見つけよう。(それが新卒で入社した会社ならばラッキーだ)夜勤明けの平日休みならば、自宅で思う存分株式取引が可能だ。株式取引に失敗しても君には設備管理の仕事がある。

 

どこででも働ける力

 強電の設備管理の求人は日本全国どこにでもあり、給与を選ばなければ働ける場所は無数にある。海外でも電気は使用するので、同じような求人は無数にある。この君の能力が日本全国、世界各国のどこでも通用するというのが肝なのだ。スキルの汎用性があることは圧倒的な武器になる。今の職場が嫌ならば、いくらでも転職できる。この状態を人生の早い段階で作っておくことだ。

株式取引に成功したら、会社を辞めて自由に生きてもいいし、人と最低限のコミュニケーションをするために軽いバイトをしてもいい。自由な時に温泉にだって行ける。

 

親や教師の大人の洗脳に騙されるな

 親や学校の教師に煽られて、頑張って東大に行く労力、能力を電気主任技術者の勉強に割り当てて、東大よりも絶対的な安定を手に入れよう。正直この世の中に官僚の事務次官以外で東大卒でなきゃ出来ない仕事など存在しない。しかし、電気主任技術者にしか出来ない仕事は沢山ある。頭の良い進学校の奴ら、旧帝、早慶の奴らが、一流企業でがむしゃらに頑張っている隙を突くんだ。電気主任技術者の資格を取得し、実務経験をきちんと積めば30歳時点の人生の安定性、選択肢の広さは東大卒の平凡なサラリーマンよりも圧倒的に上だ。それに1日8時間労働、週40時間労働というのは上限の努力目標で合って、最低そこまで働かないと駄目だというわけではない。別に週に三日勤務でも良いじゃないか。

 

英語の勉強も!!

ただし、電気の勉強と並行して英語の勉強をきちんとしておくべきだ、これから日本は間違いなく沈む。この時に海外に移住することになるかもしれない。その時に最低限の英語力は必要だ。

折を見て機械系も書きたいと思う。是非、資本主義社会からの脱出を夢見て頑張ってもらいたい。

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高学歴or高知能 and コミュ障 and 働きたくない君へ ソフト編

前置き 

高学歴の就職人気ランキングをざっと見た。三菱商事三井物産伊藤忠商事トヨタ自動車野村総研などの錚々たる企業が並ぶ。高学歴で、勤労意欲、競争意欲の高い学生はそうした会社に進むのがよろしい。

 しかーし。高学歴だけど、コミュ障で人とかかわるのが苦手だし、あんまり働きたくないっていう人もいるだろう。そう!そこの君。そうした君が、資本主義社会を効率的に泳ぎ抜く方法を伝授しよう。

 

就職

 小規模から中規模のwebシステム会社に就職(ECサイトの受託制作など。大手Sierは発注や進捗管理であまりコードを書かないことも多くお勧めしない)。phpなどのサーバー言語を学んで、webエンジニアとしてのスキルを三年くらい蓄積する。毎年、100万円貯金し三年で300万円貯金する。(地方でなければ、なるべく実家から通える会社がいい)会社に馴染めればそのまま五年くらい在籍するのも悪くない。そうすれば500万円くらい溜まるだろう。プライベートでは30万円くらいで株の運用と株の知識の習得を行おう。(信用取引は×)

 三年から五年で会社に通ってみっちりプログラムを書けば、在宅ワークも余裕でこなせるだろう。少額でも株式投資の練習を数年積めば100万円単位の運用も出来るだろう。(信用取引は×)

 

在宅勤務への移行

このタイミングで在宅勤務に切り替える。もしくは在宅勤務可能な会社に転職する。転職する会社は、年収300から400万円台で良いので、在宅勤務可能で、拘束時間はあってないような緩い会社を選ぼう。一週間、一か月などの範囲で成果物を出していれば文句を言われない会社。周りの社員が雑魚で、高学歴の君なら余裕で仕事こなせて、会社から重宝されて、多少の我儘がきく。一般的な大手の転職サイトには上がってこないので、indeedや独自のリサーチで見つける。在宅勤務でも小まめに進捗報告しないとダメな会社もあるので要注意。また、社外、社内イベントなどの面倒な行事が無いか面接できちんと確認しよう。

 

投資研究開始

 そうした会社に就職出来たら、仕事は手っ取り早く終わらせて。株式市場の研究をリアルタイムでしよう。(仕事は朝の6時半から9時半に終わらせて。9時半から日経平均の取引をじっくり観察。チャンスがあればデイトレードしてもいい。)

 日経平均がバブルのタイミングではインバースETF日経平均が暴落時にはインデックスETFに。(ここら辺は勉強してね。)こうしたETFに貯金したお金の1/3を突っ込もう。およそ五年に一回くらいはチャンスが訪れるはずだ。残りの1/3は仕事を手っ取り早く終わらせた後で残った時間でデイトレードをしても良し。そして残りの1/3は貯金としていざという時に残しておこう。

 株の運用がうまくはまれば(三倍くらいの儲け)、貯金と合わせて資産を1000万円以上に増やすことが出来るだろう。仕事の給料では相変わらず年間100万円を確実に貯金しよう。資産を1000万円以上に増やしたら、同様の事を三回繰り返せば1000万円×3×3で1億円弱。

 新卒23歳から3~5年で仕事の基礎の修練。20代後半で株の本格的な運用開始。五年に一度のチャンスで資産を三倍にすることを三回繰り返すのに15年。そうすると40代前半(早ければ30代中盤)で資産1億円を狙えるわけだ。1億円を3%の配当がつく株式で運用すれば毎年300万円弱の不労所得が入ってくる。それにプラスして会社の給料400万円。年収は700万円。独身ならば年収300万円で充分暮らしていけるので、資本主義ゲームから脱出できるはずだ。結婚しても地方ならば申し分ない暮らしが出来る。

 

人の行く裏に道あり花の山 

一流大学→一流企業 高収入なんて誰でも簡単に思いつく。だからこそ、競争が厳しいのだ。そうした競争に勝ち抜いても40代でアーリーリタイヤは難しい。残業も多い。そしてこれからも安定しているか分からない。(商社マンとして海外に赴任しなくてもいいじゃないか。不労所得が300万円もあればいくらでも好きに海外旅行出来るよ。)

私が紹介した生き方は王道コースのその裏をかくものだ。

 

強い信念

 周囲の友達から馬鹿にされるかもしれない。親から反対されるかもしれない。それがなんだというのだ。人からどう思われるかなんて関係ない。君はコミュ障で働きたくないんだよな。君の気持に正直になろう。私は残念ながらコミュ障なのに同調圧力に屈して、こういった生き方が出来なかった。今もつまらないサラリーマンをしている。時を戻せるならば、こうした生き方をして、一刻も早く資本主義から脱却したかった。株式投資では信用取引は絶対やめておこう。失敗したら半端ない借金を背負うこともありうる。そうしたら本末転倒だ。現物取引の範囲なら、株の運用がうまくいかなくても会社員としての年収400万円の収入がある。

 自分を強く持ち、うまく立ち回ればサラリーマンの安定とフリーランスの自由の良いとこ取りが出来る。勇気を出して、自己実現に踏み出してほしい。折を見て、電気編、機械編も紹介しようと思う。

 

理系に進め

 こうした生き方は理系であることが大前提である。そもそもコミュ障は文系に行ってはいけない。そして、20代は仕事で自己研鑽に励むこと。仕事の基礎は20代でしっかり習得して、残りはその余力で食っていく。車や家を無理して買わない事。購入する場合は投資で成功し、資金に余裕が出来てからローン無しで一括払いすること。(住宅ローンは金利だけで1000万くらいかかり、本当に馬鹿らしい)

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長い春休み(東日本大震災の記憶)バンコクでの再会編

目覚めるとタイのうっそうとした田園地帯が車窓に広がっていた。朝の八時くらいだったろうか。バンコクへの到着まで4時間から5時間ほどある。昼過ぎにバンコクのフアランポーン駅に到着し、携帯電話へ連絡をいれるとバンコクの友人にメールしてある。駅で買ったお菓子をほおばりながら、車窓をひたすら眺める。バンコクの友人はまだ赴任してから一年しか経ってない。最後に会ったのが、2008年か2009年だっただろうか。文化、商習慣、気候の違うバンコクで元気にやっているのだろうか?赴任後はしばらく連絡を取っていなかったが、震災発生当時に私の家族よりも先に国際電話をかけてくれた。学生時代は一緒にサッカーを何回か見に行ったな。

 列車は都市部に差し掛かる。マレーシアと比較するとごった煮間、カオス感が強かった。バンコク市内に入ると線路に差し迫るようにスラム街が広がっていた。スラムを縫うように列車はゆっくりとフアランポーン駅を目指す。ここがバンコクか。タイにはいつか行ってみたいと思っていたが、こんな形で訪れるとは思わなかった。フアランポーン駅はヨーロッパの主要駅のような行き止まり式の駅舎であった。駅に降り立つと、滑っとした暑さと排気ガス臭が体にまとわりついた。昨夜からお菓子しか口にしておらず、お腹が大変すいていた。駅の改札を出て左手にバイキング式の食堂があった。料金は日本円で300円から500円相当だったろうか。その金額を払えば、食べ放題だったはずだ。チャーハンに野菜炒めを上からドバっとかけて、それをミネラルウォーターと一緒にかきこんだ。味は悪くなかった。

 さて、腹ごしらえも済んだことだし、バンコクに住んでいる友人に連絡をしなければ。駅を出て、ネットカフェを探す。左手の道を渡ったところに店があったので、そこに入店した。入店料金を払うから電話を貸してくれないかと店主に頼む。友人の携帯番号を打ち込む。3回くらいのphoneコールですぐに彼につながった。今バンコクのフアランポーン駅にいる。駅舎の中に王様の肖像画がある駅。自分は駅舎に入ってすぐの食堂の前で待ってると伝えた。30分から40分くらい経過しただろうか?ピンクのシャツを着た彼が現れた。久しぶりの再会が、バンコクのフアランポーン駅というエキセントリックなシチュエーション。しかし、よお、元気というような自然な再会であった。駅舎を出て地下鉄に乗り、スクンビット駅で降車する。そこでバイタクを捕まえて駐在員御用達のコンドミニアムに向かう。白い高層階で、入り口のセキュリティチェックもしっかりとしていた。安宿を泊まり歩いていた自分には天国とした言いようがなかった。早速シャワーを浴びさせてもらった。駐在員生活は上々の様で、彼なりに楽しんでいるようであった。スクンビットは日本人駐在員が集まる地区で、日本語の古本屋、日本語の話せる定員のお店、日本の百貨店、旅行代理店が揃い、快適に暮らせるとのことであった。夕方はバイタクを捕まえてタイのレストランへ連れて行ってもらえた。エビのトムヤムクンスープが絶品で、長旅で疲れた体に染み渡る。その後はタイのキャバクラに連れて行ってもらい、日本語を話せるタイ人のキャバ嬢とカラオケを楽しんだ。長旅の貧乏生活の抑圧から解放された。やっぱり持つべきものは友達だ。深夜に彼の家に帰ると、ソファーをベッド代わりにして寝ていいと言われた。

体をまっすぐ伸ばせないが、今までの貧乏生活と比べれば、何のその。無事に彼に落ち会えた安心感、シンガポールからの疲労感で、その日はすぐに眠りに落ちた。

 

長い春休み(東日本大震災の記憶)タイへの誘い編

次の日の出発までの一日は宿の周辺でダラダラと過ごした。宿代と食事代を併せても一日1000円ほどで済む。おまけに数百円上乗せすれば洗濯もしてもらえる。もっとここにいたい。ペナン島の居心地の良さに後ろ髪を引かれる。あくる日は昼前にバタワースを出発するので、荷物の整理を行った。ネットカフェで日本の状況を確認すると原発事故の状況はさらに悪くなっていくように感じた。アメリカの支援や韓国からのホウ酸の提供をかたくなに断り、自国内で問題を処理しようとする菅首相の姿勢に限界を感じた。枝野官房長官は相変わらず直ちに影響は無いの連呼。震災時に民主党政権であったという何たるタイミングの悪さ。この日本の命運に悲嘆するしかない。福島第一原発三号機の水素爆発ではどの程度、放射性物質汚染が拡大したのだろうか。岩手県のニュースでは、児童たちがコンクリートの建物に避難していると報じられていたが、可能であれば一刻も早く福島第一原発から半径300km以遠に避難して欲しい気持ちだ。避難所に避難している若い人たちは、別の地で一からやり直せる時間的余裕がある。故郷も大事だが、新しい土地で頑張って欲しい。

 私には一つ理解出来ないことがある。なぜ逃げることが出来るのに、逃げないのかと。日本人の土着信仰と関係があるのだろうか?一人だと心細いのだろうか?

もしかするとそれを問うことは酷なのかもしれない。逃げるにも勇気や能力が必要であり、逃げれば良いというのは強者の論理かもしれない。そもそも逃げる発想すらないのかもしれない。自分のこれまでを振り返り、逃げることにもエネルギーが必要だったことを思い出した。

また、日本人特有の同調圧力で逃げることは裏切りに繋がるのかもしれない。10年後の今だから言えるが、被災地の会社に無理してとどまらなくても、いくらでも道はあった。会社を辞めて幸せになったと断言できる。しかし、あの当時は会社という閉ざされた世界が自分の全てで、そこからはみ出ることにまだ幾ばくかの恐怖を感じていたのは確かだ。

 あくる日は10時くらいにチェックアウトを済ませ、フェリーでペナン島からバタワース駅に向かう。窓口でバンコク行きの寝台特急の券を購入。これから丸々1日半くらい列車に乗りっぱなしだ。ホームに向かうとバンコク行きの列車はたったの二~三両。日本の583系のようなボックス型の寝台車両であった。通路を挟んだ向かいにはアフロ髪の巨漢の女性が鎮座していた。体も髪もゴツく見ているだけで圧迫感を感じた。

 列車はディーゼルカーに牽引されて二~三両の短い車両で、昼前の定刻に発車した。薄曇りで、小雨が降りしきる中、熱帯雨林をかき分けながら列車はタイとの国境を目指して進む。夕方ごろに国境の駅バタン・プサールに到着した。タイとマレーシアの国境審査があり、ホームに降りる。駅舎の中で荷物チェックとパスポートコントロールを済ませた。始終ずっと曇りのち雨の愚図ついた天気。会社を捨てた退廃的な気分と解放感が複雑に交錯する気分を象徴していた天気だった。これで良いと言い聞かせたが、これで良いのかという陰鬱とした気持ちが始終頭をもたげる。寝台車に寝ころびながら、今後のことに頭を巡らす。陸路でタイに入国した場合にはビザは10日しか有効ではない。一週間ほど友人の家に身を寄せた後はどうしようか思案する。小雨が強雨になって列車に打ち付けて、その音がベッドにもこだまする。そう言えば、ペナン島で出会った番組制作会社の女の子が、ビザ更新の日帰りツアーを教えてくれたっけ。(タイのビザが切れる三日前にカンボジアに入国し、カンボジアからタイに再入国してビザを延長するツアー)

 そうだ。友人の家に一週間世話になった後はラオスカンボジアに行こう。一昨年のベトナム旅行で知り合った日本人がラオスのルアンフラバーンをイチオシしてくれていたっけ。バンコクからノンカーイ、ノンカーイからラオスの首都ビエンチャンビエンチャンからはバスか飛行機でルアンフラバーンを目指そう。

 陰鬱な気分が徐々に晴れ、未知の土地への好奇心と希望が興隆してくる。そういえばタイもラオスも自分にとっては初めて訪れる国だ。どうせなら何でも見てやろう。雨は相変わらず強いが、未知の世界を夢想しているうちに眠りに誘われていった。